京都駅から西側に行ってみよう!エリア魅力発信WEB マガジン

シリーズ特集「松尾祭」(1)|松尾祭と松尾大社《前編》(動画あり)(2018-2019年度)

松尾祭特集

2019/1/31

シリーズ特集「松尾祭」 第1回《前編》(動画あり)

(2018-2019年度)


松尾大社と氏子地域からみる松尾祭

松尾祭と松尾大社《前編》

千余年にわたり受け継がれる、伝統の京の神輿祭

(取材撮影協力/写真提供:松尾大社、松尾大社六社青年連合会)

※本シリーズの取材撮影は、2018年から2019年度にかけて行ったものです。

 

松尾祭と松尾大社

松尾祭まつのおまつりとは
松尾祭は古くは松尾の国祭とよばれ、9世紀中頃の平安時代に始まったとされています。
この松尾祭は「神幸祭」(しんこうさい・通称おいで)と「還幸祭」(かんこうさい・通称おかえり)の両祭から成り立ち、1000年以上にも渡り受け継がれてきた京を代表する祭と知られています。
「神幸祭」では、松尾大社から分霊された神輿が各氏子地域を巡幸し、3箇所の御旅所(西七条御旅所、三宮神社、衣手神社)に収められます。還幸祭になると、唐橋西寺公園(西寺跡)に6基すべての神輿と唐櫃が集合し祭典が行われ、朱雀御旅所でも同様に祭典も行われたのち、松尾大社へと戻ります。

(※詳細は《後編》をご参照ください)

《動画で見てみる松尾祭の魅力!》


(京都松尾祭 [2015年度]より)

 

 

松尾大社まつのおたいしゃの御由緒と歴史


松尾大社全景

松尾大社は、京都市西部にある松尾山(223m)山麓にあり、松尾山を含む約12万坪という広い境内を持つ、京都最古の神社の一つといわれています。

太古の昔よりこの地方一帯に住んでいた住民が、本殿背後に位置する松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に祀って、生活守護神として尊崇したのが始まりと伝えられています。現在でも、氏子地域の人々が松尾山や松尾大社のことを「やま」とよんで崇敬していることからも、松尾大社は松尾山を含んでいることが窺えます。

松尾山と磐座

(写真左上:桂川の西方より望む、松尾山)
(写真右上:松尾山頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら))

 

松尾大社 本殿

5世紀頃、秦の始皇帝の子孫と称する(近年の歴史研究では朝鮮新羅の豪族とされている)秦氏(はたうじ)が、朝廷の招きによってこの地方に来住すると、その首長は松尾山の神を一族の総氏神として仰ぎつつ、この地方を開拓し農産林業を興したと伝えられています。秦氏は保津峡を開削し、桂川に堤防を築き、上流に大きな堰(大堰・大井)を作り、そこから水路を走らせ、桂川両岸の荒野を農耕地へと開拓していったいわれています。
飛鳥時代・大宝元年(701)には、文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾山大杉谷の磐座(いわくら)の神霊を勧請して社殿を建立。なお、本殿は1542年に改築されたもので、桁行三間・梁間四間の特殊な両流造りの「松尾造り」と呼ばれる珍しい建築をしており、国の重要文化財に指定されています。
(写真左上:境内にある本殿)
秦氏は、大和時代以後朝廷の財務官吏として活躍し、長岡京、平安京へ遷都を誘引したのも秦氏の膨大な富と力によるものとされています。平安京に都が移されると、賀茂神社と並んで「皇城鎮護の社」とされ、「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と並び称されました。
さらに平安時代の延長5年(927)に編集成立した「延喜式」の神名帳(※1)には二神が記され、その後「二十二社の制」(※2)が立てられると、その第四位に記されるに至りました。このことからも、平安時代は特に皇室からのご崇敬は極めて厚かったといわれています。
室町時代末期までには全国で数十ヶ所もの荘園をはじめ、江戸時代においても1000余石もの朱印地や嵐山一体の山林も有していました。

(※1)延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)とは、律令の施行細則である「延喜式」の巻九・十のことを指し、記載されている神社を式内社といい」、2861社存在していました。

(※2)二十二社の制とは、平安時代中期から中世にかけて、朝廷から特別な崇敬を受けた22の神社のことをいいます。

酒造神としての松尾大社まつのおたいしゃ


神輿庫の酒樽

神泉 亀の井

農業が進み、絹織物など他の諸産業もしだいに興こってくると、酒造も盛んに作られるようになりました。酒造においては、秦氏の技術が優れていたとされ、秦氏に「酒」のという字の付いた人が多かったことからも酒造との関わり合いが推察できます。 室町時代末期以降、松尾大社が「日本第一酒造神」と仰がれ給う由来はここにあります。また神代の頃、八百万の神が松尾山に集まり、松尾のお水(亀の井)を使って酒造し、神々に振舞ったという言い伝えがあります。社殿背後にある霊泉「亀の井」の水をお酒に混ぜると腐敗しない、延命長寿、よみがえりの水として伝わり、醸造家がこれを持ち帰る風習が残っています。

お酒の資料館

松尾大社 お酒の資料館
松尾大社とお酒との関わり、お酒の歴史や文化、工程などを分かりやすく解説。古くから伝わる酒造道具、手法なども展示されています。

松尾大社まつのおたいしゃの御祭神、御神徳


本殿と拝殿

◎松尾大社の御祭神(二神の柱/二柱の神)

【大山咋神(おおやまぐいのかみ)

古事記によると、須佐之男神(すさのおのみこと)の御子である大年神(おおとしのかみ)の御子とあり、山の上部(末)に鎮座されて、山及び山麓一帯を支配される(大主)神で、近江国の比叡山を支配される神(現日吉大社)と、ここ松尾山一帯を支配される神(現松尾大社)がおられたと伝えています。

 

【市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

古事記には、福岡県の宗像大社に祀られる三女神の一神として古くから海上守護の霊徳を仰がれた神とされています。おそらく外来民族である秦氏が朝鮮半島との交易する関係から、航海の安全を祈って古くから当社に勧請されたと伝えられています。 

◎松尾大社の御神徳

京都洛西の総氏神として、約十万戸の氏子の崇敬を集めるほか、古来、「開拓」「治水」「土木」「建築」「商業」「文化」「寿命」「交通」「安産の守護神」として仰がれています。特に「醸造祖神」として、全国の酒造家、味噌、醤油、酢等の製造及び販売業の方から格別な崇敬を受けています。

 

松尾大社まつのおたいしゃの境内マップ


松尾大社 境内マップ

 

松尾大社まつのおたいしゃの摂社・末社

(松尾祭にも関連する摂社・末社をご紹介)


月読神社の境内

月読神社

《摂社》月讀つきよみ神社(月読神社)
(京都市西京区松室山添町)
松尾七社、および松尾三社の一社で、松尾大社から南へ約500mに位置する境外摂社。御祭神は「月読尊(つきよみのみこと)」。
日本書紀によれば、顕宗天皇の3年(487)、阿閉臣事代という者が任那に使した時、神のお告げを受けたので、京に還ると天皇に奏上して、山城国葛野郡の荒樔田の地(桂川沿い、現在の上野辺付近。諸説あり)を神領として賜り、月読尊を祀る神社を創建したと伝えられています。現在の地に移ったのは、度重なる桂川の氾濫を避けて、斉衡3年(856)に松尾山南麓が選ばれたとされています。
月讀神社は、延喜式で名神大社に列せられるほど全国屈指の名社で、当松尾大社の勢力圏内にあることから、古くからこの松尾大社の摂社とされてきました。境内には「聖徳太子社」「御船社」「月延石」があります。

御船社

《末社》御船社
(京都市西京区松室山添町)
月讀神社境内にある御船社は、御祭神を「天鳥舟命(あめのとりふねのかみ)」としており、水上交通の守護神であるため、毎年「神幸祭」の前日に渡御安全祈願祭を行っています。現在、松尾大社の末社に属しています。

櫟谷宗像神社

《摂社》櫟谷宗像いちたにむなかた神社
(京都市西京区嵐山中尾下町)
松尾三社の一つであり、櫟谷神社と宗像神社の2社同殿で御鎮座されています。御祭神は、櫟谷神社が「奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)」、宗像神社が「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」で、この2神は異名同神(紀の一書)と見られていますが、天智天皇の7年(668 )筑紫の宗像から勧請されたものと伝えられています。櫟谷神社は嘉祥元年(848)従五位下、貞観10年(868)正五位下の神階を授けられた延喜式内社で、宗像神社は貞観12年葛野鋳銭所に近き故をもって新鋳銭を奉納されていたことが三代実録に見える由緒ある神社です。両社とも大堰川(桂川)の水運の安全を祈って祀られたものといわれています。
また、古くは嵐山弁財天と称し地元から信仰されている名社でもあります。

西七条御旅所

《御旅所》西七条御旅所
(京都市下京区西七条南中野町)
御祭神は「松尾大神」で、名称の示すように松尾祭での四基の神輿(大宮社、櫟谷社、宗像社、四之社)と月読社の唐櫃の御旅所となっています。
創建は平安時代末期の史料にすでに見られ、元々は西七条地区にあった3ヶ所の御旅所が、明治になってから現在の地へと定められました。また、江戸時代には幕府より百余石の朱印地が与えられており、西七条一帯の人々が年貢を上納。戦前までは御旅所境内に能舞台が設けられており、能狂言が奉納されてきた記録も残っています。
なお、境内社として「武御前社」があり、御祭神として「武甕槌命(たけみかつちのかみ)」をお祀りしています。

朱雀御旅所(朱雀松尾總神社)

《末社》朱雀御旅所(朱雀松尾總神社)
(京都市下京区朱雀裏畑町)
御祭神は月讀神社と同じ「月読尊(つきよみのみこと)」。往古より松尾祭の「還幸祭」(かんこうさい・通称おかえり)の道行きに際し、六基の神輿(大宮社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)と月読社の唐櫃の御旅所とされています。

三宮神社(川勝寺三宮神社)

《末社》三宮神社 (川勝寺三宮神社)
(京都市右京区西京極北裏町)
大宝年代(8世紀初頭)の創建といわれ、御祭神として「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」を祀っていたが、のちに「大山祇神(おおやまづみのかみ)」と「酒解神(さかとけのかみ)」の二神を合祀して三宮と称したと伝えられています。川勝寺三宮神社の境内社として道祖神社も祀られており、昭和28年(1953)に松尾大社の末社となりました。松尾祭では三宮社の神輿の御旅所となっています。

衣手神社(郡衣手神社)

《末社》衣手神社 (郡衣手神社)
(京都市右京区西京極東衣手町)
古くから郡村(こおりむら)の産土神、農耕の守護神として「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」を奉斎する三宮神社(創建年代不明)が祀られていました。明治8年には松尾大社の境内末社・衣手社である「羽山戸神(はやまとのかみ)」を合祀し、御祭神を「玉依姫命」と「羽山戸神(はやまとのかみ)」の二柱としました。明治11年には、松尾大社の末社として「衣手神社」と改称。松尾祭においては、衣手社の神輿の御旅所となっているほか、歌枕の「衣手の森(杜)」の地としても有力で境内に石碑が建っています。


北末社と南末社

《北末社》四大神社・三宮社 《南末社》衣手社
(京都市西京区嵐山宮町)
松尾大社境内の「亀の井」や「霊亀の滝」の間に、北末社として二殿共床の「四大神社(しのおおかみのやしろ)」「三宮社」が鎮座しています。また、本殿南方には「衣手社」「一挙社」「金比羅社」が南末社として鎮座しています。御祭神は、四大神社が「春若年神」「夏高津日神」「秋比売神」「冬年神」、三宮社は「玉依姫命」、衣手社は「羽山戸神」が祀られています。

(写真左上:四大神社と三宮社 ・ 写真右上:衣手社)



 ◎醸造祖神 洛西総氏神「松尾大社- MATSUNOO TAISHA」はこちら

 



一覧へ

PAGE TOP